ねぶた及びねぷたは青森県の広い地域で行われている夏祭りで、旧暦の七夕の時期に行われる、山車燈籠をひき、掛け声や囃子とともに町を練り歩く行事、また、山車燈籠そのものを指します。
特に、青森市の「青森ねぶた祭」、弘前市の「弘前ねぷたまつり」、五所川原市の「五所川原立佞武多」は、いずれも観光客が100万人を超え[1]、「3大ねぶた祭り」と呼ばれています。
青森県内において、現在運行されているねぶたの分布を地図にまとめたものが図1、市町村別にまとめたものが表1です。
(表1)市町村・地区別のねぶたの分布
これらを見て分かるように、南部地方を除いた各地域においてねぶたが運行されています。これは、青森県がかつて津軽藩と南部藩に分かれていたことに起因すると考えられます。
南部地方に「ねぶた」はありませんが、人形を載せた大きな山車をひく行事(八戸三社大祭の山車行事など)が盛んに行われています。
ねぶたの呼称の由来は諸説ありますが、地区によって「ねぶた」や「ねぷた」と呼び方が異なり、これらの分布を表すと図2及び表2のようになります。
ねぶたの呼称は、板柳町から黒石市のラインが境となって変化しています。
五所川原市の「五所川原立佞武多」は、「ねぶた」と呼ばれる市区町村に囲まれていますが、読み方は「たちねぷた」です。他の祭りと違い、漢字で「佞武多」と表記することから、別のものと考えても良いかもしれません。
次に、山車燈籠の形ごとに分けていきます。図3及び表3です。
運行される山車燈籠の形については、今別町の「荒馬まつり」と深浦町の「深浦のねぶた」を除いて、鶴田町と板柳町、青森市と黒石市を境に北側が人形ねぶた、南側が扇ねぶたと分かれていることが分かります。
また、「浪岡北畠まつり」においては、人形と扇の両方が運行されています。これは、青森市浪岡地区が青森市の中でも特に藤崎町や黒石市に近いこと、また、2005年3月31日以前までは浪岡町という独立した町であったことが関連していると考えられます。
呼称との関連性については、五所川原市と青森市浪岡地区を例外として、板柳町から黒石市のラインが境となっているところが共通しています。「ねぶた」と呼ばれるものに人形型が多く、「ねぷた」と呼ばれるものに扇型が多いですが、必ずしもそうとは限りません(「五所川原立佞武多」や「荒馬まつり」など)。
また、運行時の掛け声ごとに分けたものが図4及び表4です。
青森市と弘前市の間にある市区町村(つがる市から黒石市にかけて)において、掛け声が混在していることから、このラインを境に掛け声が変化していることが分かります。
主に、青森ねぶた祭の「ラッセラッセラッセラー」、黒石ねぷた祭りの「やーれやーれやー」、弘前ねぷたまつりの「ヤーヤードー」に分かれます。五所川原立佞武多の「ヤッテマレヤッテマレ」という掛け声は、他地域にはない独自のものです。
囃子について分けたものが図5及び表5である
県内各地のねぶた及びねぷたが運行されている祭りの動画を筆者が聴き分けたところ、囃子については、青森ねぶた囃子に類似する囃子、弘前ねぷた囃子に類似する囃子、それ以外の3つに分類できることが明らかとなりました。
独自の囃子の多くは太鼓と笛、もしくは太鼓のみで演奏され、太鼓と笛と鉦を用いるものは五所川原立佞武多の囃子のみです。
統一されていない囃子については、青森ねぶた囃子に類似する囃子と弘前ねぷた囃子に類似する囃子が運行・囃子団体によって異なるもの(浪岡北畠まつり)や、団体によって、民謡を録音したものを流したり、弘前ねぷた囃子に類似する囃子を演奏したりするもの(平川ねぷたまつり)などがあります。
全体的に、県内のねぶたのほとんどは、弘前ねぷたまつり及び青森ねぶた祭の形態が基となっていると考えられます。
そして、五所川原立佞武多が、特に独特の発展を遂げているといえるでしょう。
[1] 「平成26年青森県内夏祭りの観光客入込数について」青森県観光企画課 https://www.aptinet.jp/ap_fesdate14summer.html
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