青森県において、現在、国指定重要無形文化財に指定されているもの、県指定無形民俗文化財に指定されているものは、約60個ほどあります。これを地域ごとにまとめた表が以下です。
この表にある地域のうち、「東西津軽」「北五津軽」「西津軽」「中南津軽」を『津軽地方』、「上北」「三八」を『南部地方』、「下北」を『下北地方』とよび、この3地方ごとに多く伝承されている芸能の傾向が違います。
まず、『津軽地方』について。
津軽地方は、獅子踊が多くの地域で伝承されていますが、この起源や沿革は不透明です。「青森県民俗芸能緊急調査報告書」においても、「記録では近世の天和二年(一六八二)、弘前八幡宮の祭礼で神輿に随従した弘前松森町の獅子が出てきて、これを本流だとしてもその先の展開がわからない。」[1]とされています。獅子踊は稲作や収穫祭と関連があることから、稲作が生業の軸であった津軽地方に広く伝わったものと考えられます。
次に、『南部地方』について。
南部地方には駒踊が多くの地域で伝承されています。これは、秋の牧場での野馬捕りのさまを芸能化したものとされています[2]。これには、南部地方は東国の武士集団とかかわりの深い馬産地であったことが関係していると考えられています。
また、南部地方には神楽も多くの地域で伝承されています。南部地方の神楽は山伏神楽の系列であり、これは、かつての修験山伏の宗教行為であり、悪魔払いと民生安寧という庶民の現生利益の願望にこたえる民俗芸能の原点といわれています。津軽地方にも津軽神楽が伝わっていますが、これは「津軽四代藩主信政の没後、正徳四年(一七一四)信政を神として祭った中津軽郡岩城町の高岡霊社(現高照神社)の祭礼で、上方から伝授した古雅な神楽を奉納した」[2]ことが由来であるため、南部地方の山伏神楽系のものとは異なります。
最後に、『下北地方』について。
下北地方には山車行事が多くの地域で伝承されています。これは船山車を持った行事であり、「江戸時代に日本海を中心とした海運が各寄港地に伝えられている船山車の行事をもたらした」[3]と考えられています。下北地方は3方を海に囲まれた半島部であり、近世以降、西廻り海運による上方との経済・文化の交流があったことが影響しています。
このように、3地方によって伝承されている芸能の系統がはっきりと異なる点が、青森県の郷土芸能の大きな特徴であるといえます。
さて、青森県のお祭りとしてもっとも有名といえるのが「ねぶた祭」だといえるでしょう。
ねぶたは津軽・南部・下北の中では津軽地方を中心に伝承され、下北ではむつ市のみ、南部地方では伝承が見られません。それにもかかわらず、「青森県」としての観光の目玉にも位置付けられています。
この要因としては、津軽地方に広く分布していること、山車が大きく迫力があり、明るく華やかであること、観光客も跳人として参加しやすいことなどが考えられます。また、他の芸能においては継承者の高齢化や減少が大きな課題となっていますが(2024年現在)、ねぶたについては継承者の減少は見られず(地域ねぶたを除く)、今なお盛り上がりを見せている点からも、上記の郷土芸能と比べて一線を画している存在であるといえます。
[1] 「青森県民俗芸能緊急調査報告書」青森県教育委員会、1996、p.197
[2] 「青森県民俗芸能緊急調査報告書」青森県教育委員会、1996、p.196
[3] 「大間の山車行事」他 青森県文化財保護課https://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kenmukei_54.html
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